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岩倉城 織田信長に滅ぼされた織田伊勢守家の居城

<城郭データ>
■ 所在地:      愛知県岩倉市下本町
■ 築城主:      織田敏広
■ 築城年:      文明11年(1479年)
■ 主な城主:   織田敏広・寛広・信安・信賢
■ 廃城年:      永禄2年(1559年)
■ 城郭構造:   平城
■ 遺構:

 

<歴史>
岩倉城は1479年(文明11年)織田伊勢守家(岩倉織田氏)の当主・織田敏広によって築かれたと伝わる。
その後、岩倉城は尾張国上四郡の守護代となった織田伊勢守家の代々の本拠となり、清洲城を拠点とした尾張下四郡の守護代・織田大和守家(清洲織田氏)に対抗した。
しかし、15世紀の初め頃には両織田氏の勢力は徐々に低下し、代わりに織田大和守家の家老職にある織田弾正忠家が次第に台頭し、織田信秀の代には主家を凌ぐ勢力を有していた。
1555年(弘治元年)には織田大和守家の当主・織田信友が、織田信秀の跡を継いだ織田信長に討たれて、織田大和守家は断絶する。
1558年(永禄元年)織田伊勢守家の当主・織田信安は長男・信賢を廃嫡して、次男・信家を後継に定めようとしたため、信賢により岩倉城から追放される。
新たに岩倉城主となった織田信賢は美濃国の斎藤義龍と結んで信長に対抗するが、「浮野の戦い」に敗れて信賢は岩倉城に籠城する。
しかし、翌1559年(永禄2年)岩倉城は落城し、信賢は信長によって追放される。
織田伊勢守家は滅亡し、尾張国は信長によって統一される。

 


<登城記録>
2020年8月1日(土)
13時10分

守山城から車で約30分で岩倉城へ着いた。

岩倉城は五条川に面した微高地に築かれた平城で、方形の本丸の周りを内堀・外堀の二重の堀が巡っていた。
標高10メートルの低い台地上に築かれた平城で、東西約104メートル、南北169メートルの規模であり、南北に長い長方形の本丸の周りを空堀、二ノ丸、内堀、外堀が巡っていたと推測されている

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

かつての岩倉城の周辺は宅地化が進み、遺構は何も残されていない。
本丸跡に「岩倉城址」と「織田伊勢守城址」の石碑が建つのみである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

岩倉城から北へ300メートルの場所にある神明生田神社へ。
境内には「山内一豊公誕生地」の石碑が建てられている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
一豊の父・山内盛豊は岩倉織田家の家老であったが、1559年(永禄2年)の籠城戦で織田信長によって討たれた。一豊が15歳の頃であったという。
後に、一豊は信長に仕えた後、羽柴秀吉の家臣となり、「関ヶ原の戦い」の功績によって徳川家康より土佐一国を与えられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

境内の片隅には、2006年に放映された大河ドラマ「功名が辻」の放映記念碑が置かれている。

山内氏の家紋である「丸に土佐柏」がモチーフされているが、この家紋は一豊の父が戦いの最中に指物を失ったため、代わりに近くにあった柏の枝をさして戦って勝利したという伝承に由来している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小太郎 * - * 20:12 * comments(1) * -

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コメント

織田信賢は「麒麟がくる」に出た様な気がします。
尾張最後の織田領ではない城だったんですね。
Comment by ドロスケ @ 2020/08/06 10:05 AM
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