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西宮城/下垣内城 石田三成に三顧の礼で迎えられた島左近の居城

<城郭データ>
■ 所在地:      奈良県生駒郡平群町西宮
■ 築城主:      島氏
■ 築城年:      室町時代
■ 主な城主:   島氏
■ 廃城年:      不明
■ 城郭構造:   平山城
■ 遺構:         曲輪・空堀

 

<歴史>
西宮城の築城時期は定かではないが、室町時代に大和国平群郡の在地豪族である島氏によって築かれたと伝わる。
その後、平時における島氏の代々の居城として機能し、後に有事の際の詰城として椿井城が整備されている。
1460年(長禄4年)畠山義就によって西宮城を攻められるが、筒井順永の支援を受けて島氏はこれを撃退している。
1559年(永禄2年)松永久秀が信貴山城を拠点に大和に侵攻を始め、筒井氏に属していた国人衆の諸城を攻略する。
筒井順慶に仕えていた島左近(清興)も椿井城・西宮城に拠って抗戦するが、西宮城は松永氏の属城となり、信貴山城の支城として改修されたという。
1577年(天正5年)久秀は畿内を平定した織田信長に謀叛を企て、信貴山城に籠城する。
しかし、織田信忠が率いる織田軍に攻撃されて信貴山城は落城し、久秀は自害に追い込まれる。
この戦いで、西宮城も攻められて落城したと考えられており、以降は西宮城は廃城となったという。

 


<登城記録>
2020年6月29日(月)
12時40分

西宮城は生駒山地と矢田丘陵に囲まれた山間部の平野に築かれた平山城で、現在は平群中央公園として綺麗に整備されている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

公園のエントランス広場から西宮城まで、徒歩で移動する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

平群中央公園の南東端にある「冒険広場」が主郭跡。
周囲より高い位置にあるが、城跡という雰囲気はなく、完全に長閑な児童公園。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  
公園にある案内板によれば、時計台の辺りが堀切で土橋が架かり、東側が主郭で西側が副郭であったようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

南側のフェンスの先には空堀が残っている。

フェンス越しに空堀を撮影したつもりであるが、もう完全にただの藪にしか見えない。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
西宮城から谷を隔てた北側には、島氏が築城したと考えられている下垣内城が見えている。
西宮城とは一つの城郭であった可能性もあるという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

下垣内城の城域は東西150メートル・南北120メートル以上と推定されている。
現在は芝生公園として整備され、遺構は何も残されていない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

下垣内城から望む西宮城の主郭。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

13時5分

滞在時間は30分にも満たないが、西宮城と下垣内城の登城はこれで終了。

両城の規模や距離からすると、やはり一つの城郭であったと考えるのが妥当であるように思う。

 

小太郎 * - * 15:48 * comments(0) * -

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