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勝幡城 戦国の覇王 織田信長の生誕地

<城郭データ>
■ 所在地:      愛知県愛西市勝幡町
■ 築城主:      織田信定
■ 築城年:      永正年間(1504年~1521年)
■ 主な城主:   織田信定・織田信秀・武藤雄政
■ 廃城年:      不明
■ 城郭構造:   平城
■ 遺構:

 

<歴史>
勝幡城は尾張国の南西部に位置し、永正年間(1504年~1521年)に織田信長の祖父・織田信定によって築かれたと伝わる。
当時は水上交通の要衝であり、尾張・美濃・伊勢の産物が集積する港町として栄えていた津島を抑える形になった。
信定は清洲城を本拠とする尾張国の下四郡の守護代・織田大和守家(清洲織田氏)の家老であったが、豊かな経済力を背景に勢力を徐々に拡げていった。
1532年(天文元年)信定の跡を継いだ嫡男・織田信秀は今川氏豊の居城の那古野城を攻略して、那古野城に居城を移した。
勝幡城には家臣の武藤雄政を城代として置いた。
江戸時代に書かれた「尾州古城志」によると、信秀の嫡男・織田信長は1534年(天文3年)この勝幡城で産まれたと記されている。
1552年(天文21年)信長は織田氏の家督を相続すると、1555年(弘治元年)主家の織田大和守家を滅ぼし、居城を那古野城から清洲城へと移した。
この時、勝幡城の城代・武藤雄政を野府城へと移し、勝幡城はやがて廃城となった。

 


<登城記録>

2019年6月4日(火)
12時30分

墨俣城から車で南へ約40分で「勝幡城址」の石碑の建つ城跡へ着いた。

石碑と看板以外は何もなく、ただの空き地状態。

戦国時代の覇王・織田信長の生誕地にしては少し寂しい感じがする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

付近を流れる日光川の堤防を200メートルほど南へ歩くと、木々の茂みの中に「織田弾正忠平朝臣信定古城蹟」と刻まれた石碑が建っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鬱蒼とした感じであるが、先ほどの場所よりは城跡の雰囲気がある。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

JR勝幡駅の北口には織田信秀と土田御前に抱かれた幼少期の織田信長像が建っている。信長が生まれたのは1534年(天文3年)で、幼名は吉法師と名付けられた。
当時においても桁違いに型破りな少年であったという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

12時55分

勝幡城の登城は予想通り呆気なく終了。

何もないことはわかっていたが、敬愛する信長様の生誕地とあれば登城しないわけにはいかない。

 

小太郎 * - * 15:40 * comments(0) * -

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