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墨俣城 若き日の木下藤吉郎が一夜で築いた伝説の城

<城郭データ>
■ 所在地:      岐阜県大垣市墨俣町
■ 築城主:      木下藤吉郎(豊臣秀吉)
■ 築城年:      永禄9年(1566年)
■ 主な城主:   木下藤吉郎(豊臣秀吉)
■ 廃城年:      不明
■ 城郭構造:   平城
■ 遺構:

 

<歴史>
墨俣城は1561年(永禄4年)または1566年(永禄9年)織田信長が美濃国攻略の際の前線基地として、木下藤吉郎(豊臣秀吉)に築かせたと伝えられている。
墨俣城の築かれた長良川西岸の洲股(墨俣)は現在と流路が異なり、木曽川・長良川・揖斐川がここに流入しており、当時は交通上・戦略上の要衝であった。
また、美濃国・尾張国の国境に位置する重要拠点であることから、戦国時代以前から幾度も合戦の舞台となっていた。

1584年(天正12年)「小牧・長久手の戦い」の直前に、池田恒興の家臣・伊木忠次が墨俣城を改修した記録が残っている。
1586年(天正14年)木曽川・長良川・揖斐川の大氾濫が起こって墨俣城は流され、木曽川の流路は現在の位置に変わってしまった。
そのため、墨俣の地は戦略上の重要性を失って、墨俣城も廃城となった。

 


<登城記録>
2019年6月4日(火)
11時20分

墨俣城の南側の無料駐車場に到着。

墨俣城があったとされる場所は現在は公園として整備されており、城の南を流れる犀川の向こうには墨俣城の模擬天守が見えている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

犀川に架かる太閤出世橋を渡って城内へ。
模擬天守の前には、落ち着いた雰囲気の公家風の「木下藤吉郎秀吉公像」が置かれている。若き日の藤吉郎がここに城を築いたのは、織田信長の足軽頭という低い身分の頃で、銅像のイメージとはかなり異なる。
この場所にはその頃の藤吉郎の像を建てた方が良かったと思う。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

信長は墨俣城の築城を佐久間信盛や柴田勝家などの重臣に命じるが、城の建設途中に敵に攻撃されて何れも失敗する。
それを見た若き日の木下藤吉郎はこの難工事を進んで引き受ける。
藤吉郎は川並衆を率いる蜂須賀小六の協力を得て、川の上流で材木を伐採して組み立てておき、それを川に流して一気に組み上げて、一夜にして墨俣城を完成させたと言う逸話が残っている。
後の豊臣秀吉が、出世の足がかりを得た記念すべき城ということができる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

模擬天守は1991年(平成3年)に建てられたもので、内部は墨俣一夜城歴史資料館になっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天守最上階より北側の眺望。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
長良川の流れの先には、当時の斎藤氏の居城であった稲葉山城(後の岐阜城)の天守が見えている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

墨俣城の周囲の一部には「藤吉郎の馬柵」が設けられている。

当時の雰囲気を表現しているようであるが、金属の補強が少々気になってしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

11時50分

木下藤吉郎が築いた墨俣城は、現在建っている模擬天守のような立派なものであるはずもなく、考証に基づいて砦風の復元をした方が良かったと思う。
ここには若き日の藤吉郎が築いた墨俣一夜城の雰囲気はあまり感じられない。

墨俣城を後にして織田信長の生誕地とされている勝幡城へ向かう。

 

小太郎 * - * 15:36 * comments(0) * -

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